【講座感想】「関東大地震時の朝鮮人虐殺を語り継いできて」(講師:愼民子さん)を受講して#2026年U30第2回

以下の講座を受講した定形一輝さんの感想です

2026年度「ふぇみ・ゼミU30」社会を変える一歩を踏み出すインターナショナル・フェミニズムゼミ
第2回 7月11日(土)18:00~20:00 講師:愼民子さん
「関東大地震時の朝鮮人虐殺を語り継いできて」

 震災発生後に関東一円であったとされる、朝鮮人への虐殺行為。その犠牲者を弔い、残念ながら現代にも引き継がれる民族差別を根絶することを願う追悼式には、筆者も毎年どこかの地で参列している。しかしそれは自分が今生きている現在から、朝鮮人虐殺という過去の出来事に思いを馳せるという、点と点を結ぶ極めて表層的な行為でしかなかったと自覚した。そもそも虐殺の歴史はどのような経緯で明らかになり、なぜ毎年の追悼式という形式をとっているか。またその担い手はどのように移り変わり、過去の凄惨な歴史を語り継ぐことの意義をどのように捉えているかを今回の講座で初めて耳にし、より立体的に理解できるようになったと思う。
 関東大震災後、誰が誰によりどのように殺害されたか。愼民子さんが「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」の中で長年携わってきた調査・研究から明らかになった、数多くの事例が語られた。歴史の真相を明らかにし、追悼という形で語り継いでいく行為には、大きく分けて2つの意義があると感じられた。ひとつは記録。もうひとつは記憶(追憶)である。
 愼民子さん自身は、当時20代であった1970年頃に初めて事件を知り、大きなショックを受けたという。同時期の1973年、東京都墨田区両国の横網町公園に、初めて朝鮮人追悼碑が建立され、事件に関する記録の調査も徐々に始まった。裏を返せば、事件発生から50年もの間、日本国家が事件について語ることを許さなかったことへの屈辱、また当事者にとってもそこまで時間をかけなければ語り出せなかった葛藤が想起される。
 以降の調査で、荒川河川敷に埋められた朝鮮人虐殺犠牲者の遺骨を、当時の警察が遺体とともに持ち去り証拠隠滅を図った事件のことや、震災後の混乱の中、荒川四ツ木橋付近で自警団に留め置かれ寺島警察署に向かって橋を渡る途中、川に沈められ遺棄される犠牲者の姿を目撃した証言者の声など、数々の凄惨なエピソードが愼民子さんの口から語られる。お話を伺いながら、こうした証言を収集し記録することは、統治に都合の悪い証言を封殺しようとする国家にから、死者の尊厳を取り戻すための長い闘いであると感じられた。
 一方で記憶(追憶)とは、記録されたものをどう受け止め、未来に向けてどう行動するかを考えるプロセスとなる。そのことを、若年層による団体「百年(ペンニョン)」に関する語りから検討したい。「百年」は、関東大震災から100周年を迎える2023年に、ほうせんか100周年追悼式実行委員会として若い世代が中心となって設立された団体だ。以後、朝鮮人虐殺にまつわる勉強会やフィールドワークを継続している。運営に携わる意義について、愼民子さんがメンバーから聞いた言葉が胸に迫った。
 あるメンバーは、事件のことを学ぶにつけ、自分の祖父や祖母が直接手を下さずとも、虐殺に加担していたのではないか。また未来において自分自身も事件を繰り返してしまう可能性があるのではないか――そうした危機感に苛まれるという。他の在日3世のメンバーは、日本と朝鮮半島両方にルーツのある自分は加害者/被害者どちら側なのかわからない。そのような葛藤を抱えながら、これをきちんと言葉にしていかなければならないという。
 これには大いに共感を抱いた。事件を直接知る世代からの証言を聞く機会は逸してしまったが、その記録や史跡を辿った人物の身体感覚は、口承していくことができる。すべての記憶は一人ひとり別個の人間のものであり、その時代を生きた民族の歴史でもあると思う。その記憶を継承する「百年」のような活動が、より広域に発展することが求められる。
 そうはいっても、人間は不完全な存在だ。筆者自身も、記憶の継承が重要だとどれだけ説いても忘却することはあるし、植民地支配を行ってきた民族としての教育を内面化し、差別的言動を発露してしまう恐れは常にある。しかしそこで自らの愚かしさを冷笑するでも、「知らぬ存ぜぬ」と思考放棄するでもなく、継承されてきた記録と記憶、追悼という行為を思い出す態度こそが肝要ではないだろうか。自分もまた事件を繰り返す当事者になる最悪の結果だけは避けなければならない…その意思のバトンを受け継いでいく一端を担っていきたい。

定形一輝

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