『「社会」を扱う新たなモード』連続読書会&学習会 第2回スタッフ感想
ふぇみ・ゼミスタッフの飯田光穂です。
第2回は「マジョリティにやさしい私たちの社会」というタイトルでした。
今回のポイントは「マイノリティの社会的包摂を謳っているはずの「共生社会」をめぐる主張や取り組みも、マジョリティの都合や利害に合わせたものに終始している」です。
質疑応答
第2回は前回の質疑応答からはじまりました。
『「社会」を扱う新たなモード』連続読書会&学習会 第1回スタッフ感想
で私が書いた「これも個人/社会モデル?」について説明があったので最初に共有します.
1.痴漢予防ポスター 今まで多かった「痴漢に注意!」は痴漢に遭う人に原因があるとして注意を促す目的で個人モデル、 最近増えてきた「痴漢かなと思ったら声をかけましょう」は周囲の環境に注意を促す目的で社会モデル? |
の部分については、
「声をかける」
・②解消手段における「社会」と捉えていたら、①発生メカニズムの社会性、の視点がどの程度あるか?
・「社会」=その場に居合わせている人としたら、社会の極小化ではないか?
という指摘がありました。
普遍化レトリックの問題点
「『みんな違ってみんないい』などの差異や多様性の平板化は、差異の間に存在する不均衡を不可視化する」
という話を聞いて私が連想したのは、同性愛者の権利をめぐる問題をとりあげる場面や、同性愛をテーマにした作品の出演者などが語る、
「人が人を愛する気持ちに違いはない」などの聞こえのいい言葉や
英語圏を中心とした「#LOVEisLOVE」のハッシュタグです。
そもそも、人が人を愛する気持ちに違いがないのか、という点も疑問ではあるのですが、
「違いはない」、「#LOVEisLOVE」、と言い切ることで、異性愛者に与えられていて同性愛者に与えられていない権利や、同性愛者が受けている差別が透明化されているように感じます。
「活力ある社会」の問題点
能力を発揮できる・役に立つ、という社会的有用性の尺度を用いてアピールするのは、「女性活躍」はもちろんですが、最近だと外国人技能実習生の問題も想像しました。
障害者、女性、外国人、高齢者など様々なマイノリティが、「能力発揮」や「役に立つ」というフレーズで「共生社会」に組み込まれ、経済的価値を生むことと引き換えに社会参加を認められるのは、結局マジョリティ側のメリット・デメリットだけで評価されることになり、とても不均衡だと思いました。
第3回は2月6日はゲストに共著の西倉実季さんがいらっしゃる「当事者研究と『社会モデル』の近くて遠い関係」です。
講座は全5回ですが、申し込むと今からでも第1回の録画を視聴できます。
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一緒にふぇみ・ゼミを学ぶ人が増えることで、日本でのアクションへのハードルも少しずつ低くなると思います。
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