「女性のからだは国家のもの? 社会主義の揺り返しと「女の役割」の復権」スタッフ感想
ふぇみ・ゼミスタッフの飯田光穂です。
高柳聡子さんの「ソ連以降を闘う女性たち ~政治という暴力がもたらすもの」、第2回は「女性のからだは国家のもの? 社会主義の揺り返しと「女の役割」の復権」でした。
第1回の感想はこちら「「ソ連以後を闘う女性たち ~政治という暴力がもたらすもの」スタッフ感想」です。
講義を受ける前の私は、ベラルーシの位置も知りませんでしたが、ベラルーシの位置はこちらです。(講義のスライドより)
ベラルーシの北西にある飛び地のロシア、南下してベラルーシ、ウクライナ、モルドバまでが旧ソ連だったそうです。
ルカシェンコの独裁政権
ソ連から独立後、1994年から今に至るまで、憲法を改正してアレクサンドル・ルカシェンコ氏がずっと大統領の座にいる独裁政権です。
1990年代に経済が混乱し多くの女性が解雇されたことで、ベラルーシにフェミニズムが到来しました。
失業した女性の支援や就業・起業支援をするグループなどが立ち上がり、修士課程でジェンダー論を学べる画期的な私立欧州人文大学ができました。
しかしルカシェンコ大統領は2004年にこの大学をつぶしてしまったので、現在この大学はリトアニアにあります。
独裁者が大学をつぶしたという話は、市民が知識をつけないように学問に介入してくる点で、杉田水脈議員による「フェミ科研費への介入問題」や、当時内閣総理大臣だった菅義偉議員が日本学術会議が推薦した会員候補のうち一部を任命しなかった、いわゆる「日本学術会議会員の任命問題」を連想しました。
どの国も、独裁者は学問を軽視し、学問の自由を認めたくないものなのか、と暗澹たる思いです。
ベラルーシのフェミニストが考える民主主義とは
このような状況でもベラルーシでフェミニスト団体「ABF(アクティブであることは良いことだ、の意味)」で運動するユリヤ・ミツケヴィチ氏はこう言っています。
「民主主義とは政治体制というよりもむしろ人々の考え方や意識、市民としてのかかわり方や責任感のこと」
私は最近の日本で民主主義が息をしていない理由を、日本の民主主義はアメリカという外側から与えられた概念で、市民の要求で手に入れていないからではないか、と自問自答していました。
その答えをユリヤ氏に学んだように思います。
私たち市民の一人ひとりが政治に意識を向けなければ、意識を向ける責任感を持たなければ、民主主義は動かなくなってしまうため、今の日本は民主主義の正反対である独裁の方向に進んでいます。
前回、第1回ロシアの回を公開したときは岸田首相の防衛増税の是非が問われていました。しかしその後すぐに「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」の安保政策3文書を改定し、反撃能力(敵基地攻撃能力)を有するように変えました。
約1か月たち、第2回ベラルーシの記事を書いているいまは、岸田首相はイギリスのスナク首相と会談し防衛協力強化のための「円滑化協定」に署名、スムーズな部隊派遣につなげる狙いがある、と報道されました。
日本は日ごとに戦争する国へ近づいています。
さらに翼賛的な報道しかなくなる日も遠くないのかもしれません。
ユリヤ氏が語る「民主主義とは」を多くの人と共有し、民主主義への意識や責任感を自分に問い直しつづけていきたいと思う回でした。
次回は2月18日、「カフカ―ス」がテーマです。
講座は全5回ですが、申し込むと今からでも第1回の録画視聴が可能です。
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一緒にふぇみ・ゼミを学ぶ人が増えることで、日本でのアクションへのハードルも少しずつ低くなると思います。
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