『「社会」を扱う新たなモード』連続読書会&学習会 第1回スタッフ感想
ふぇみ・ゼミスタッフの飯田光穂です。
「第1回(1/23)フェミニストが「社会モデル」に出会う(序章)」は、ナビゲーターである飯野由里子さんが「社会モデル」に出会った経緯と、なぜその時「フェミニズムにとっても重要」と感じたのかについてお話しされました。
講義を聞いたあと、社会モデルとフェミニズムの視点で重なるのではないかと私が感じる事例をいくつか連想しました。
社会モデルで捉える性差別
(講師スライドより)
1.痴漢予防ポスター
今まで多かった「痴漢に注意!」は痴漢に遭う人に原因があるとして注意を促す目的で個人モデル、
最近増えてきた「痴漢かなと思ったら声をかけましょう」は周囲の環境に注意を促す目的で社会モデル?
(こちらの回答は第2回感想をご覧ください。)
2.医学部受験女子差別問題
「女医は妊娠で産休育休があるから女子学生が点数を減らされるのは仕方ない」は個人モデル、
「医師が産休育休をとっても現場が困らないように勤務医の働き方を変える必要がある」は社会モデル。
3.女性役員割合
「女性にやる気や実力のある人が少ないのが原因だ」は個人モデル、
「産休や育休をとったり時短で働いてもキャリアアップできるよう男性正社員の働き方を基準にした評価制度に問題がある」は社会モデル。
同性愛者が障害者だったこと
また、同性愛が精神障害とみなされていた歴史も思い出しました。
1952年にアメリカ精神医学会が発行した「精神障害の分類と診断の手引」(DSM-1)において、同性愛は精神障害とされ、社会病質人格障害の「性的逸脱」とされました。
しかし、1993年には世界保健機関(WHO)が国際疾病分類(ICD-10)で、同性愛を治療の対象から外し、障害・病気・性的逸脱とはみなされなくなりました。
精神医学界の取り扱いの変化自体は同性愛者にプラスの影響があったと思います。
しかし自分が同性愛者だと自覚して本で調べていたときに、私は1992年まで障害者で1993年から障害者ではなくなった、というのは大きなインパクトがありました。
「社会の障壁は変わらずあるのに障害者でないとされるのはおかしくないか?」
「異性愛者と同等の利益を受けられない不利益の分、障害者として補填されるほうが平等ではないか?」
学生の頃は、そんな話を夜更けまで語り合ったことも懐かしいです。
来週は「心のバリアフリー」を中心にお話されるそうです。
第2回は1月30日「 マジョリティにやさしい私たちの社会(第2章)」です。
講座は全5回ですが、申し込むと今からでも第1回の録画視聴が可能です。
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一緒にふぇみ・ゼミを学ぶ人が増えることで、日本でのアクションへのハードルも少しずつ低くなると思います。
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